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江戸の三富(富くじ):天王寺(てんのうじ)
谷中七福神(やなかしちふくじん)
毘沙門天は上善堂(講堂)で御開帳されていました。
平成十年に落慶しました。
江戸三富(富くじ)
元禄十三年(1700年)に江戸幕府公認の富くじが興行され、
目黒不動尊・瀧泉寺、湯島天満宮とともに、『江戸の三富』として、
天保十三年(1842年)に禁令が出されるまで、大いに賑わいました。
紅葉坂(もみじざか)
日暮里駅南口から天王寺に向かう坂は紅葉坂(もみじざか)といわれています。
由緒
日蓮上人がこの地の住人である関長耀(ながてる)の家に泊まった折、
自らの像を刻みました。長耀は草庵を結び、その像を奉安しました。
弟子の日源が像を祀り、長耀山感応寺と称したのが開創とされます。
江戸時代の元禄十一年(1698年)に不受不施派からの改宗を幕府から命ぜられ、
廃絶の危機に瀕しました。
廃寺になるのを惜しんだ輪王寺宮の公弁法親王によって、
天台宗寺院として存続することになり、毘沙門天を本尊に祀りました。
(御本尊は明治になって阿弥陀如来坐像に変わりました)
ついで天保四年(1833年)には天王寺と改められました。
山門
木造の山門の他、平成十年に新築されたコンクリート製の山門があります。
本堂
奈良の十輪院を模した優美な造りとなっています。
本堂は慶応四年(1868年)の官軍と彰義隊との戦いである上野戦争で焼失しましたが、
昭和五十七年に再建されました。
毘沙門堂
毘沙門堂は慶応四年(1868年)の官軍と彰義隊との戦いである上野戦争で焼失しましたが、
昭和三十二年に放火によって焼失した五重塔の下層部の残材を使い、
昭和三十六年に再建されました。
銅造釈迦如来坐像
元禄三年(1690年)に建立されました。
昭和八年に現在の場所にコンクリート製の基壇を新築して移されました。
明治の頃には『天王寺大仏』として親しまれていたそうです。
地蔵菩薩(学童守護)
地蔵菩薩(山門前)
天王寺五重塔跡
かつて天王寺には五重塔がありましたが、昭和三十二年に放火によって焼失しました。
最初の五重塔は寛永二十一年(正保元年・1644年)に建立されましたが、
明和九年(安永元年・1772年)に目黒行人坂の大火で焼失しました。
その後寛政三年(1791年)に再建され、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとなりました。
総欅造りで高さ34.18メートルある関東で一番高い塔でした。
実測図が残っているため、復原も可能だそうです。
ありし日の谷中五重塔のレリーフです。谷中霊園の入口の壁にありました。
天王寺墓地
天王寺墓地には2023年朝の連続テレビ小説『らんまん』のモデルとなった、
日本の植物学の父、牧野富太郎博士のお墓がありました。
練馬区の大泉学園には牧野富太郎博士の邸宅の跡地があります。
天王寺のご朱印
令和六年拝受:御本尊・阿弥陀如来:ご朱印
平成二十四年拝受:谷中七福神・毘沙門天:ご朱印
令和六年拝受:谷中七福神・毘沙門天:ご朱印
寺院情報
- 住所:東京都台東区谷中7-14-8
- アクセス:JR山手線日暮里駅徒歩約1分
ご覧頂きましてありがとうございます。
東京都台東区・荒川区・北区の七寺院に祀られています。
江戸時代中期に始まった江戸最古の七福神です。寺院のみの巡礼となります。
毎年元旦から10日までご朱印を頂く事ができます。
東覚寺(とうがくじ):福禄寿:東京都北区
護国院(ごこくいん):大黒天:東京都台東区
天王寺(てんのうじ):毘沙門天:東京都台東区
長安寺(ちょうあんじ):寿老人:東京都台東区
修性院(しゅうせいいん):布袋尊:東京都荒川区
青雲寺(せいうんじ):恵比寿:東京都荒川区
不忍池弁天堂(しのばずのいけべんてんどう):弁才天:東京都台東区
専用の御朱印帳はありませんでしたので、寺院用の御朱印帳に頂きました。