東京都台東区:谷中七福神・毘沙門天:天王寺のご朱印

江戸の三富(富くじ):天王寺(てんのうじ)

谷中七福神(やなかしちふくじん)

谷中七福神

東京都台東区・荒川区・北区七寺院に祀られています。
江戸時代中期に始まった江戸最古の七福神です。寺院のみの巡礼となります。
毎年元旦から10日までご朱印を頂く事ができます。

東覚寺(とうがくじ):福禄寿:東京都北区
護国院(ごこくいん):大黒天:東京都台東区
天王寺(てんのうじ):毘沙門天:東京都台東区
長安寺(ちょうあんじ):寿老人:東京都台東区
修性院(しゅうせいいん):布袋尊:東京都荒川区
青雲寺(せいうんじ):恵比寿:東京都荒川区
不忍池弁天堂(しのばずのいけべんてんどう):弁才天:東京都台東区


専用の御朱印帳はありませんでしたので、寺院用の御朱印帳に頂きました。

毘沙門天上善堂(講堂)御開帳されていました。

平成十年落慶しました。

江戸三富(富くじ)

元禄十三年(1700年)江戸幕府公認富くじ興行され、
目黒不動尊・瀧泉寺湯島天満宮とともに、『江戸の三富』として、
天保十三年(1842年)禁令が出されるまで、大いに賑わいました。

紅葉坂(もみじざか)

日暮里駅南口から天王寺に向かう坂は紅葉坂(もみじざか)といわれています。

由緒

日蓮上人がこの地の住人である関長耀(ながてる)の家に泊まった折、
自らの像を刻みました。長耀草庵を結び、その像を奉安しました。

弟子日源像を祀り長耀山感応寺と称したのが開創とされます。
江戸時代元禄十一年(1698年)不受不施派からの改宗幕府から命ぜられ、
廃絶の危機に瀕しました。

廃寺になるのを惜しんだ輪王寺宮公弁法親王によって、
天台宗寺院として存続することになり、毘沙門天本尊に祀りました。
(御本尊明治になって阿弥陀如来坐像に変わりました)
ついで天保四年(1833年)には天王寺改められました。

山門

木造の山門の他、平成十年新築されたコンクリート製の山門があります。

本堂

奈良十輪院を模した優美な造りとなっています。
本堂慶応四年(1868年)の官軍と彰義隊との戦いである上野戦争焼失しましたが、
昭和五十七年再建されました。

毘沙門堂

毘沙門堂慶応四年(1868年)官軍彰義隊との戦いである上野戦争焼失しましたが、
昭和三十二年放火によって焼失した五重塔下層部の残材を使い、
昭和三十六年再建されました。

銅造釈迦如来坐像

元禄三年(1690年)建立されました。
昭和八年現在の場所コンクリート製の基壇新築して移されました。

明治の頃には『天王寺大仏』として親しまれていたそうです。

地蔵菩薩(学童守護)

地蔵菩薩(山門前)

天王寺五重塔跡

かつて天王寺には五重塔がありましたが、昭和三十二年放火によって焼失しました。

最初の五重塔寛永二十一年(正保元年・1644年)建立されましたが、
明和九年(安永元年・1772年)目黒行人坂の大火焼失しました。
その後寛政三年(1791年)再建され、幸田露伴小説『五重塔』のモデルとなりました。

総欅造り高さ34.18メートルある関東で一番高い塔でした。

実測図が残っているため、復原も可能だそうです。

ありし日の谷中五重塔のレリーフです。谷中霊園の入口の壁にありました。

天王寺墓地

天王寺墓地には2023年朝の連続テレビ小説『らんまん』モデルとなった、
日本の植物学の父牧野富太郎博士お墓がありました。
練馬区大泉学園には牧野富太郎博士邸宅の跡地があります。

天王寺のご朱印

令和六年拝受:御本尊・阿弥陀如来:ご朱印

平成二十四年拝受:谷中七福神・毘沙門天:ご朱印

令和六年拝受:谷中七福神・毘沙門天:ご朱印

寺院情報

  • 住所:東京都台東区谷中7-14-8
  • アクセス:JR山手線日暮里駅徒歩約1分

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