Contents
- 1 古都鎌倉十三佛霊場第九番札所・鎌倉二十四地蔵尊霊場第十六番、第十七番札所:浄光明寺(じょうこうみょうじ)
- 1.0.1 鎌倉三十三観音霊場
- 1.0.2 古都鎌倉十三佛霊場
- 1.0.3 古都鎌倉十三佛霊場:御朱印帳
- 1.0.4 鎌倉二十四地蔵尊霊場
- 1.0.5 由緒
- 1.0.6 鎌倉時代:赤橋流北条家の菩提寺
- 1.0.7 山門
- 1.0.8 足利尊氏・直義兄弟ゆかりの地
- 1.0.9 冷泉為相(れいぜいためすけ)ゆかりの地
- 1.0.10 冷泉為相墓
- 1.0.11 冷泉為相墓由緒
- 1.0.12 網引地蔵(あみひきじぞう):鎌倉二十四地蔵尊霊場第十六番札所
- 1.0.13 鎌倉青年團:藤谷黄門遺蹟(ふじがやつこうもんいせき)
- 1.0.14 境内
- 1.0.15 客殿
- 1.0.16 御本尊の拝観日
- 1.0.17 仏殿と観音堂
- 1.0.18 収蔵庫
- 1.0.19 不動堂
- 1.0.20 楊貴妃観音
- 1.0.21 大伴神主家(おおともかんぬしけ)墓所
- 1.0.22 庫裡
- 1.0.23 鎌倉市天然記念物:マキ
- 2 浄光明寺のご朱印
- 3 寺院情報
古都鎌倉十三佛霊場第九番札所・鎌倉二十四地蔵尊霊場第十六番、第十七番札所:浄光明寺(じょうこうみょうじ)
鎌倉三十三観音霊場
専用の御朱印帳はありませんので、第一番札所杉本寺で無地のご朱印帳を購入し、
鎌倉三十三観音霊場専用としました。
古都鎌倉十三佛霊場
十三仏を参拝すれば、亡き人の追善になり、
また追善を行った功徳により、
自らの死後十三王の審判から救済されるという十三仏信仰が盛んになり、
日本全国に霊場があり、多くの人が巡拝しています。
古都鎌倉十三佛霊場:御朱印帳
鎌倉二十四地蔵尊霊場
明治の廃仏毀釈などで失われる地蔵尊を憂い、
明治三十四年(1901年)より各所を捜索し、
大正六年(1917年)に成立したといわれています。
地蔵菩薩はお釈迦様が入滅後、弥勒菩薩が如来として姿を現すまでの無仏の間、
六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)すべての世界で、
衆生を救済するとされます。
鎌倉二十四地蔵霊場には専用の御朱印帳はありませんでしたので、
寺院用の御朱印帳に頂きました。
由緒
建長三年(1251年)に鎌倉幕府五代執権の北条時頼と、
六代執権の北条長時が開基となって創建されました。
開山は真聖(しんしょう)国師です。
後醍醐天皇から寺領を寄進されており、
成良親王(後醍醐天皇皇子)の祈願所となっています。
鎌倉時代:赤橋流北条家の菩提寺
六代執権の北条長時から始まる赤橋流北条氏の菩提寺として位置付けられています。
鎌倉時代に二度の火災に見舞われた際も、住僧の努力や、
赤橋久時と、鎌倉幕府最後の十六代執権の赤橋守時親子の援助により、
その都度再興されました。
鎌倉幕府の終焉を見届けた寺といわれています。
山門
元々近隣にある英勝寺の惣門でしたが、一時民間の手に渡った後、
大正十五年(1926年)に寄進されました。
英勝寺が創建された寛永年間のものだそうです。
山門の先には客殿があります。
足利尊氏・直義兄弟ゆかりの地
室町幕府初代将軍の足利尊氏は、
後醍醐天皇との戦いを決断する前に浄光明寺で蟄居していました。
足利尊氏は十六代執権の赤橋守時の妹婿にあたる為、篤く庇護していました。
その後足利尊氏の四男で初代鎌倉公方の足利基氏や、
基氏の息子で第二代鎌倉公方である足利氏満ら鎌倉公方の保護も受けています。
浄光明寺の地蔵菩薩立像は足利直義の守り本尊であり、
戦いの中で直義のために矢を拾い集めた伝承がある、
『矢拾(やひろい)地蔵』です。
冷泉為相(れいぜいためすけ)ゆかりの地
藤原定家の孫で歌道の名門冷泉家の始祖でもある、
歌人の冷泉為相(れいぜいためすけ:鎌倉時代の歌人)のお墓もあります。
冷泉為相墓
境内の奥には冷泉為相墓と網引地蔵のある山への階段があります。
冷泉為相墓由緒
網引地蔵(あみひきじぞう):鎌倉二十四地蔵尊霊場第十六番札所
石造の地蔵菩薩坐像は網引地蔵になります。
漁師の網にかかり海から引きあげられたとの伝承があります。
冷泉為相墓と網引地蔵へ向かう階段です。
階段を登ると広い場所がありました。
広場からは海を眺めることができました。庫裡でご朱印を頂いた際に伺うと、
見えている島は伊豆大島だそうです。
鎌倉青年團:藤谷黄門遺蹟(ふじがやつこうもんいせき)
寺標の側に『藤谷黄門遺蹟(ふじがやつこうもんいせき)』として、
冷泉為相の屋敷がかつてあったことが記載されています。
境内
鎌倉公方の足利義兼は、
応永六年(1399年)に父の氏満と祖父の基氏の遺骨を分けて浄光明寺に安置し、
鎌倉公方の菩提寺となりました。
客殿
御本尊の拝観日
御本尊は木・土・日曜・祝日(雨天中止)に午前10時~12時、13時~16時に、
拝観料200円で拝観できます。
仏殿と観音堂
正面が仏殿で左奥には観音堂があります。
仏殿には元々御本尊の阿弥陀三尊像が祀られていましたが、
隣の収蔵庫に遷座されたことに伴い、京都の泉涌寺の仏殿に倣い、
三世仏が造像されました。
収蔵庫
国指定重要文化財の阿弥陀三尊像が安置されていました。
中世の鎌倉のみで流行した『土紋(どもん)』と呼ばれる装飾が施されていました。
雨の湿気から土紋を保護する為、雨天の拝観を中止しているそうです。
不動堂
楊貴妃観音
大伴神主家(おおともかんぬしけ)墓所
鶴岡八幡宮の神主を務めた大伴家(おおともけ)の墓所があります。
墓石には神主の笏(しゃく)が彫られていました。
現在確認されるだけでも第十五代から二十三代までの九基の神主墓と、
その家族の墓塔があります(記録上は第十代から)
庫裡
庫裡でご朱印を頂きました。
鎌倉市天然記念物:マキ
推定樹齢は約七百五十年になります。
浄光明寺のご朱印
鎌倉三十三観音霊場第二十五番札所:ご朱印
古都鎌倉十三佛霊場第九番札所:ご朱印
鎌倉二十四地蔵尊霊場第十六番札所:網引地蔵ご朱印
鎌倉二十四地蔵尊霊場第十七番札所:矢拾地蔵尊ご朱印
寺院情報
- 住所:神奈川県鎌倉市扇ガ谷2-12-1
- TEL:0467-22-1359
- アクセス:JR鎌倉駅徒歩18分
浄光明寺周辺
鎌倉町青年團:扇谷(おうぎがやつ)上杉管領屋敷跡碑
浄光明寺の近くの住宅街の中に『扇谷上杉管領屋敷跡』の碑があります。
扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)
扇谷上杉家は関東に割拠した上杉家の諸家のひとつで、
上杉顕定を祖とします。
江戸城築城で有名な太田道灌は扇谷上杉家の家宰(かさい)であります。
上杉氏は鎌倉幕府第六代将軍の宗尊親王が鎌倉に下向する際、
上杉重房が親王に従って鎌倉へ下向したのがはじまりです。
足利尊氏が室町幕府を開き、その子である足利基氏が鎌倉に入り鎌倉公方になると、
その補佐役の関東管領に上杉憲顕が就任しました。
伝・阿仏尼(あぶつに)の墓
浄光明寺と英勝寺の近くに、
冷泉為相の母親で『十六夜(いざよい)日記』の作者である、
阿仏尼(あぶつに)のお墓もあります。
女流歌人であり、藤原為家の側室として、冷泉為相・為守を産みました。
夫の死後、荘園の相続を巡り、正妻の子である二条為氏と争いがおこり、
訴訟の為に鎌倉へ下りました。この時の紀行と鎌倉での滞在を記したのが、
『十六夜日記』です。
ご覧頂きましてありがとうございます。
大正から昭和初期に設定されました。
江戸時代に成立した『鎌倉郡三十三箇所』を元にしたといわれています。