江の島七福神・恵比寿神:東身延:本覚寺(ほんかくじ)
江の島七福神
江の島七福神巡りが始まったのは昭和五十七年のお正月からです。
江の島七福神:御朱印帳
古都鎌倉十三佛霊場
十三仏を参拝すれば、亡き人の追善になり、
また追善を行った功徳により、
自らの死後十三王の審判から救済されるという十三仏信仰が盛んになり、
日本全国に霊場があり、多くの人が巡拝しています。
古都鎌倉十三佛霊場:御朱印帳
鎌倉幕府初代将軍:源頼朝ゆかりの地
清和源氏の嫡流である河内源氏の源義朝の三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国に独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)に相模川の橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳で亡くなりました。
現在の本覚寺の山門のあたりに戎堂(えびすどう)があり、
源頼朝が鎌倉幕府を開いた際、幕府の裏鬼門の鎮守として建てたとされています。
由緒
文永十一年(1274年)に佐渡配流から帰ってきた日蓮上人が、
一時本覚寺の戎堂に滞在し、辻説法の拠点としていました。
近くには『日蓮上人辻説法跡』があります。
永享八年(1436年)に日出が、日蓮にゆかりの戎堂を、
天台宗から日蓮宗に改め、本覚寺を創建しました。
日蓮上人分骨堂
日朝は、身延山久遠寺への参詣が困難な老人や女性の為、
身延山より日蓮の遺骨を分骨し、本覚寺へ納めました。
このことから本覚寺が『東身延』と呼ばれる所以です。
山門(仁王門)
山門(仁王門)は江戸時代に創建されました。
江戸時代末期の製作で『持国天』と『増長天』になります。
本堂
本堂は大正時代に創建されました。
鐘楼と桜
梵鐘は応永十七年(1410年)の銘があります。
戎堂(えびすどう)
明治の神仏分離の際、蛭子神社となりましたが、
昭和五十六年境内に再び戎堂が再建されました。
しあわせ地蔵
願い事を唱えながらその頭をなでると叶うといわれています。
本覚寺のご朱印
平成十五年拝受:ご朱印
『求菩薩道』が書かれています。
平成三十年拝受:日朝大上人ご朱印
古都鎌倉十三佛霊場三番札所:ご朱印
江の島七福神・恵比寿神:ご朱印
寺院情報
- 住所:神奈川県鎌倉市小町1-12-12
- アクセス:JR鎌倉駅東口から徒歩3分
本覚寺周辺
鎌倉十橋(かまくらじっきょう):戎堂橋(えびすどうばし)
本覚寺の前にある滑川(なめりがわ)にかかる橋は、
本覚寺の戎堂にちなんで『戎堂橋』と呼ばれています。
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長谷寺、宝戒寺、鶴岡八幡宮、浄智寺、妙隆寺、御霊神社、江島神社、本覚寺
八つの寺社で一年を通して頂くことができます。