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吉原遊郭の守護神:吉原神社(よしわらじんじゃ)
浅草名所七福神(あさくさなどころしちふくじん)
御祭神
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
由緒
明治五年(1872年)に創建されました。
元々吉原遊郭の守護神として五社の稲荷神社がありましたが、
明治になり一ヶ所に合祀され、吉原神社と名乗ったのが起源です。
玄徳(よしとく)稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、榎本稲荷社、
九郎助(くろすけ)稲荷社の五社が合祀されました。
元々玄徳稲荷の場所にありましたが、大正十二年(1923年)の関東大震災で焼失。
昭和九年(1934年)に現在地へ移転しました。
吉原弁財天は、昭和十年(1935年)に合祀されました。
吉原弁財天本宮は吉原神社の近くにあります。かつては花園池という池がありました。
社殿
昭和二十年の東京大空襲で焼失した現社殿は、昭和四十三年に再建されました。
お穴様
境内には土地の神様お穴様を祀る社があります。
逢初桜(あいぞめざくら)
二百年前に吉原神社の御神木でしたが、明治四十四年の大火で焼失しました。
現在の御神木は平成二十四年に植樹されました。
久保田万太郎の句碑
久保田万太郎は、浅草出身で大正から昭和にかけて活躍した俳人です。
吉原弁財天本宮
吉原神社の近くに弁財天を祀る吉原弁財天本宮があります。
日本橋にあった吉原遊郭が移された際に弁天祠が祀られました。
吉原弁財天鳥居と社殿
社殿は平成二十四年(2012年)に改修され、
その際東京藝術大学や武蔵野美術大学の学生・卒業生により壁画が描かれました。
社殿の前には弁天池が復元されています。
吉原観音
大正十二年の関東大震災による火災から逃れ、
弁天池で溺死した四百九十人余りの人々の供養の為、
大正十五年に建立されました。
花吉原名残碑(はなよしわらなごりのひ)
花吉原名残碑は昭和三十五年に建立されました。
吉原遊郭は昭和三十三年に『売春防止法』の成立により廃止されました。
境内には句碑や地蔵菩薩が祀られています。
吉原界隈の史跡
見返り柳
旧吉原遊郭の名所のひとつで、遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、
遊郭を振り返ったという事で、『見返り柳』という名で呼ばれています。
現在で六代目だそうです。
よし原大門(おおもん)
旧吉原遊郭唯一の出入口です。江戸時代には黒塗りの冠木門だったそうです。
大門は関東大震災で倒壊し、その後は造られていません。
あしたのジョー像
平成二十四年(2012年)に作られました。
いろは街商店街の活性化の為に作られたそうです。
吉原神社のご朱印
吉原神社:ご朱印
浅草名所七福神・弁財天:ご朱印
神社情報
- 住所:東京都台東区千束3-20-2
- アクセス:東京メトロ日比谷線三ノ輪駅より徒歩15分
- HP:http://yoshiwarajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/index.html
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浅草名所七福神には九つのお寺と神社があります。
『九は数の極み、一は変じて七、七変じて九と為す。
九は鳩(あつまる)であり、又、天地の至数、易では陽を表す』
という故事に由来したものです。
浅草寺、待乳山聖天、今戸神社、橋場寺不動院、石浜神社、
鷲神社、矢先稲荷神社、浅草神社、吉原神社