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東京下町八社福参り:今戸神社(いまどじんじゃ)
浅草名所七福神(あさくさなどころしちふくじん)
東京下町八社福参り
由緒
康平六年(1063年)に源頼義、義家親子が奥州討伐の折、
京都の石清水八幡宮を勧請し、今戸八幡として創建されました。
永保元年(1081年)にも清原武衡・家衡親子討伐の際、
源義家が戦勝祈願し、勝利をおさめた為、社殿を修築しました。
昭和十二年(1937年)に隣接した白山神社を合祀し、今戸神社と呼ばれるようになりました。
社殿
戦火に遭うごとに社殿は再建されていきました。
寛永十三年(1636年)には、江戸幕府三代将軍の徳川家光によって再建されました。
関東大震災で社殿は焼失し、その後東京大空襲でも再建された社殿は被災しました。
現在の社殿は昭和四十六年(1971年)に再建されました。
招き猫発祥の地
沖田総司終焉の地
今戸焼発祥の地
今戸神社のご朱印
平成二十二年拝受:ご朱印
令和元年拝受:ご朱印
浅草名所七福神・福禄寿:ご朱印
神社情報
- 住所:東京都台東区今戸1-5-22
- アクセス:東京メトロ・都営地下鉄・東武スカイツリーライン浅草駅徒歩15分
- HP:https://imadojinja1063.crayonsite.net/
今戸神社周辺
山谷堀(さんやぼり)と今戸橋
山谷堀(さんやぼり)公園はかつて山谷堀と呼ばれる水路でした。
水質汚濁と悪臭が問題になり、昭和五十一年頃から暗渠化されました。
山谷堀には今戸橋という橋が架けられていました。
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浅草名所七福神には九つのお寺と神社があります。
『九は数の極み、一は変じて七、七変じて九と為す。
九は鳩(あつまる)であり、又、天地の至数、易では陽を表す』
という故事に由来したものです。
浅草寺、待乳山聖天、橋場寺不動院、石浜神社、鷲神社、吉原神社
矢先稲荷神社、浅草神社、今戸神社