Contents
- 1 鎌倉三十三観音霊場第二十四番札所:寿福寺(じゅふくじ)
- 1.0.1 尼将軍:北条政子ゆかりの地
- 1.0.2 鎌倉幕府三代将軍:源実朝ゆかりの地
- 1.0.3 鎌倉三十三観音霊場
- 1.0.4 古都鎌倉十三佛霊場
- 1.0.5 古都鎌倉十三佛霊場:御朱印帳
- 1.0.6 由緒
- 1.0.7 源実朝を偲ぶ碑
- 1.0.8 源氏父祖伝来の地
- 1.0.9 鎌倉町青年團:源氏山の碑
- 1.0.10 庚申塔
- 1.0.11 外門
- 1.0.12 外門からの参道
- 1.0.13 山門
- 1.0.14 山門の扁額
- 1.0.15 仏殿
- 1.0.16 鐘楼堂
- 1.0.17 北条政子・源実朝墓所への道
- 1.0.18 やぐら
- 1.0.19 北条政子の墓
- 1.0.20 源実朝の墓
- 1.0.21 文化人の墓所
- 1.0.22 寿福寺の国指定重要文化財
- 2 寿福寺のご朱印
- 3 寺院情報
鎌倉三十三観音霊場第二十四番札所:寿福寺(じゅふくじ)
尼将軍:北条政子ゆかりの地
北条政子が源頼朝の死後、栄西を招いて開山しました。
北条政子の墓もあります。
鎌倉幕府三代将軍:源実朝ゆかりの地
源頼朝の次男として生まれ、二代将軍の兄・頼家が追放されると、
十二歳で三代将軍に就きました。
『金槐和歌集(きんかいわかしゅう)』を編纂するなど、
歌人としての才能も発揮しましたが、
建保七年(1219年)に鶴岡八幡宮にて、
頼家の次男の公暁(くぎょう・こうぎょう)に殺害されました。
享年二十八でした。
源実朝の墓があります。
鎌倉三十三観音霊場
大正から昭和初期に設定されました。
江戸時代に成立した『鎌倉郡三十三箇所』を元にしたといわれています。
専用の御朱印帳はありませんので、第一番札所の杉本寺で無地のご朱印帳を購入し、
鎌倉三十三観音霊場専用としました。
古都鎌倉十三佛霊場
十三仏を参拝すれば、亡き人の追善になり、
また追善を行った功徳により、
自らの死後十三王の審判から救済されるという十三仏信仰が盛んになり、
日本全国に霊場があり、多くの人が巡拝しています。
古都鎌倉十三佛霊場:御朱印帳
由緒
源頼朝没後翌年の正治二年(1200年)に妻の北条政子が栄西を招いて開山しました。
鎌倉五山第三位です。
創建当時は七堂伽藍を擁して、十四の塔頭を有する大寺院でしたが、
宝治三年(1247年)に火災に遭い、また正嘉二年(1258年)の火災では、
一宇を残さず焼失してしまいました。
退耕行勇(たいこうぎょうゆう)や蘭渓道隆(らんけいどうりゅう:建長寺の開山)など、
多くの名僧が入山しました。
鎌倉幕府三代将軍の源実朝も再三参詣しました。
開山の栄西は『喫茶養生記』を著し、実朝に献上しました。
源実朝を偲ぶ碑
平山郁夫の書による源実朝を偲ぶ碑です。山門横にあります。
源氏父祖伝来の地
奥州に向かう源頼義が勝利を祈願した源氏山を背にし、
源頼朝の父である源義朝の旧邸もありました。
治承四年(1180年)に源頼朝が鎌倉入りした際、ここに館(幕府)を構えようとしたが、
古くからの源氏の家人である岡崎義実が堂宇を建てて源義朝の菩提を弔っていたことや、
土地が狭かったので、場所を変更したいきさつがあります。
鎌倉町青年團:源氏山の碑
庚申塔
外門
外門からの参道
自然豊かで落ち着いた参道です。
境内は国指定史跡となっています。
参道にはきれいな花も咲いていました。
山門
普段は山門から中は拝観できないようです。
山門の扁額
仏殿
総門から見た仏殿です。寛文四年(1664年)に再建されたようです。
鐘楼堂
北条政子・源実朝墓所への道
山門横に『政子・実朝の墓』という案内板がありました。
かつて通れた墓所への階段は落石の危険がある為、通行止めでした。
迂回路を通って墓所へ向かいます。
平成三十年八月の参拝時はまだ通れた階段です。
やぐら
墓所の中にやぐらがあります。北条政子・源実朝の墓は隣同士になっています。
北条政子の墓
北条政子の墓は安養院にもあります。
源実朝の墓
源実朝の墓となります。
文化人の墓所
作家の大佛次郎や俳人の高浜虚子のお墓があります。
寿福寺の国指定重要文化財
鎌倉時代作で像高167.5センチメートルあります。鎌倉国宝館に寄託されています。
鎌倉時代作で、像高53.5センチメートルあります。鎌倉国宝館に寄託されています。
北条政子が発願した像であると考えられています。
栄西の著作で、主として上巻は『茶』について、下巻は『桑』について書かれています。
寿福寺のご朱印
平成三十年拝受:古都鎌倉十三佛霊場第四番札所:ご朱印
令和四年拝受:古都鎌倉十三佛霊場第四番札所:ご朱印
鎌倉五山第三位:ご朱印
鎌倉三十三観音霊場第二十四番札所:ご朱印
庫裡で頂くご朱印(令和四年八月現在)
庫裡へ向かう道にご朱印受付の案内があります。
庫裡前でご朱印を頂けるようになっています。
『御本尊(鎌倉五山)』『古都鎌倉十三佛霊場』『鎌倉三十三観音霊場』のご朱印は、
浄財の箱にお金を納めて頂きます。
寺院情報
- 住所:神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-17-7
- TEL:0467-22-6607
- アクセス:JR鎌倉駅下車徒歩8分
寿福寺周辺
鎌倉十橋(かまくらじっきょう):勝ノ橋
鎌倉十橋のひとつである勝ノ橋は、寿福寺のそばにあります。
英勝寺の開基で徳川家康の側室であるお勝の方(英勝院)が架けたので、
勝ノ橋と呼ばれています。
ご覧頂きましてありがとうございます。
周囲の反対を押し切り、伊豆に流罪となっていた源頼朝の妻となり、
後の鎌倉幕府将軍の源頼家、源実朝を産みました。
頼朝の死後は『尼将軍』として、鎌倉幕府を支えました。
その後源実朝の暗殺や後鳥羽上皇による承久の乱などの危機を乗り切り、
嘉禄元年(1225年)に亡くなりました。享年六十九でした。