Contents
これまでに参拝しました富士塚(ふじづか)のある寺社のご朱印をまとめてみました。
富士塚(ふじづか)
江戸七富士
東京都渋谷区
千駄ヶ谷富士:鳩森八幡神社(はともりはちまんじんじゃ):江戸七富士
寛政元年(1789年)に築造されました。都内最古の富士塚があり、通年登ることが可能です。
富士塚のご朱印も頂きました。
東京都新宿区
成子富士:成子天神社(なるこてんじんしゃ)
大正九年(1920年)に境内にあった天神山という小山に、
富士山の溶岩を配して築かれました。
高さは約十二メートルあり、新宿区内では最大規模です。
西久保の厄除け富士:稲荷鬼王神社(いなりきおうじんじゃ)
昭和五年(1930年)に境内社として浅間神社が再興され、境内に富士塚が造成されました。
『西久保の厄除け富士』と呼ばれています。
富士塚のご朱印を頂きました。
高田富士:水稲荷神社
安永九年(1780年)に築かれた江戸市中最大最古の富士塚です。
東京都大田区
羽田富士:羽田神社(はねだじんじゃ)
『羽田富士』と呼ばれ、明治時代の初頭に築造されました。
塚の一部には富士山の溶岩が使用されています。
富士塚のご朱印も頂きました。
東京都豊島区
池袋富士塚:池袋氷川神社
明治四十五年(1912年)に築かれた富士塚は、高さ約五メートルで、
東西幅約十三メートル、南北幅約十八メートルの大きさになります。
毎年7月1日のみ開山されます。
高松富士:豊島長崎の富士塚:江戸七富士
国の重要有形文化財に指定されています。
東京都台東区
下谷坂本の富士塚(国指定重要有形民俗文化財):小野照崎神社:江戸七富士
文政十一年(1828年)の築造と考えられています。
高さは約五メートル、直径は約十六メートルです。
浅草富士浅間神社:東京都台東区
江戸時代には浅草寺の子院の修善院の管理のもと、修験道による祭祀が行われていました。
江戸を代表する富士信仰の聖地として、各所の富士講講員の尊崇を集めました。
東京都練馬区
江古田の富士塚(国指定重要有形民俗文化財):江古田浅間神社:江戸七富士
塚の高さ8メートル、直径約30メートルの大きさで、
都内の富士塚の中でも大規模の部類に入るそうです。
昭和五十四年に国指定重要有形民俗文化財に指定されました。
中里の富士塚(大泉)
中里の富士塚は、明治初期に講中によって築造されたといわれていますが、
文政五年(1822年)の石碑があることから、江戸時代すでにその原形があったと思われます。
下練馬の富士塚:北町浅間神社
下練馬の富士塚は、明治前に第一回、明治初年に第二回の築造があり、
昭和三年の第三回まで築造されました。
東京都杉並区
井草八幡宮(いぐさはちまんぐう)
元々本殿西南側にあったものが、昭和五十年に神社横駐車場の場所に移築されました。
東京都品川区
品川富士(都内最大の富士塚):品川神社(しながわじんじゃ):江戸七富士
明治二年(1869年)に北品川宿の丸嘉講社の講中三百人により造られました。
富士塚へは通年登ることができます。
東京都文京区
駒込富士神社(ふじじんじゃ)
拝殿は富士塚の上に建っています。
駒込富士神社は元々あった古墳を富士塚として、その上に建っているそうです。
音羽富士:護国寺(ごこくじ):江戸七富士
護国寺には『音羽富士』と呼ばれる富士塚があります。
音羽富士は江戸時代の文化十四年(1817年)に造られ、
明治十八年(1885年)に現在地に移されました。標高は約6メートルあります。
東京都北区
十条富士神社(じゅうじょうふじじんじゃ):江戸七富士
江戸時代に創建されたといわれています。
「補助第83号線」の道路整備の関係により、
十条富士塚も令和二年(2020年)から整備され、令和五年に完成しました。
田端富士:田端八幡神社(たばたはちまんじんじゃ)
境内には『田端富士三峰講』が祀る富士塚があります。
毎年2月20日に『富士講の初拝み』として祭事が行われます。
東京都足立区
西之宮稲荷神社(にしのみや)
『五反野富士』と呼ばれる富士塚は、大正九年(1920年)に築造されました。
東京都目黒区
目黒富士:上目黒氷川神社
文化九年(1812年)に目切坂上(上目黒1-8)に築かれたもので
高さ十二メートルあり、石祠(浅間神社)を祀っていましたが、
明治十一年(1878年)に取り壊しとなり、
氷川神社の境内に石祠や富士講の石碑が移されました。
東京都中央区
鉄砲洲富士:鉄砲洲稲荷神社(てっぽずいなりじんじゃ)
寛永二年(1790年)に富士塚が築造されました。
明治三年(1870年)に新地に移築され、明治七年(1874年)に再築されました。
その後境内で数度移築されました。
東京都荒川区
小塚原富士(こつかはらふじ)(南千住富士):素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)
『瑞光石(ずいこうせき)』のある小高い塚に、
元治元年(1864年)に富士塚を築き、浅間神社がお祀りされました。
毎年7月1日に御山開きが斎行され、登拝することができます。
東京都武蔵野市
杵築大社(きづきたいしゃ)
清瀬の『中里の富士塚』に次いで三多摩では最大規模のものです。
東京都清瀬市
中里の富士塚(清瀬)
丸嘉講武州田無組中里講社により、柳瀬川右岸の段丘縁辺地に築かれました。
文化文政年間(1804年~1830年)の築造と考えられます。
埼玉県の富士塚
埼玉県所沢市
将軍塚(富士塚)
新田義貞が逗留したことから将軍塚と呼ばれるようになりました。
富士塚とも呼ばれ、あるいは古代の塚ではないともいわれています。
埼玉県志木市
田子山富士塚(たごやまふじづか):敷島神社
引又(ひきまた・現在の志木市)宿で醤油醸造業を営む高須庄吉が、
田子山塚で富士山入定に先立ち建立した逆修の板碑【暦応三年(1340年)】を発見し、
富士山信仰に篤い高須は、明治五年(1872年)に田子山塚の頂上に富士塚を築造しました。
埼玉県草加市
瀬崎の富士塚:瀬崎浅間神社
瀬崎の富士塚は、大正五年(1916年)に竣工しました。
埼玉県川口市
木曽呂(きぞろ)の富士塚
寛政十二年(1800年)に富士講の一派である丸参講(まるさんこう)の信者である、
蓮見知重(はすみともしげ)の発願によって、
見沼代用水と通船堀(つうせんぼり)の連結点の縁に築造されました。
鎮守氷川神社(ちんじゅひかわじんじゃ)
『月三講』という講社が万延元年(1860年)に築造しました。
千葉県の富士塚
千葉県流山市
流山富士:流山浅間神社(ながれやませんげんじんじゃ)
明治二十二年(1889年)に、醬油醸造の浅見家の五代目当主・浅見平兵衛萬蔵により、
富士山の溶岩を用いて、社殿の裏側に富士塚が造成されました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
富士信仰に基づいて、富士山に模して造られた山や塚のことです。
江戸時代に始まったもので、特に関東地方の神社に多く見られます。
既に存在する丘や古墳を転用して富士山に見立てたものや、
富士山の溶岩を積み上げたものがあります。
浅間神社の境内にあり、富士塚の山頂にも浅間神社奥宮が設けられています。