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これまでに参拝しました源頼朝にゆかりのある寺社をまとめてみました。
源頼朝(みなもとのよりとも)
源頼朝の呼び名としては、『鎌倉殿』や、
『佐殿(すけどの)』【かつての官位右兵衛権佐(うひょうえごんすけ)より】
などが有名です。
神奈川県鎌倉市
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)
治承四年(1180年)に鎌倉に入った源頼朝は、宮を現在地に遷しました。
妻の北条政子が懐妊した時に、源頼朝が安産祈願をした石である『政子石』があります。
史跡永福寺跡(ようふくじあと)
文治五年(1189年)に奥州藤原氏との戦いで亡くなった源義経や藤原泰衡らを供養する為、
源頼朝により建立されました。
昭和五十八年(1983年)から発掘調査が開始されました。
平成十九年(2007年)以降、復元整備工事が着手され、
平成二十九年(2017年)六月に基礎と苑池の復元が完了し、公開されました。
白旗神社(西御門)と源頼朝墓所
建久十年(1199年)1月13日に源頼朝が亡くなった後、
持仏堂に葬られ、後に法華堂と呼ばれました。
その後鶴岡八幡宮の供僧の相承院が奉仕して祭祀を続けました。
明治時代になると寺は白旗神社に改められ、源頼朝を御祭神として今日に至ってます。
勝長寿院跡(しょうちょうじゅいんあと)
元暦元年(1184年)に鎌倉幕府初代将軍の源頼朝は、
父である源義朝の菩提を弔う為の寺の建立場所を大御堂ヶ谷の地に定めました。
源義朝と腹心の鎌田政清のお墓があります。
杉本寺(すぎもとでら)
建久二年(1191年)に源頼朝が参拝の際、
御前立の十一面観音像を寄進したとされます。
常栄寺(ぼたもち寺)
源頼朝が山上に由比ガ浜を遠望する為に桟敷を作ったのが興りとされます。
荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)
源頼朝は、鎌倉幕府鬼門の守護神として崇敬し、社殿を造営しました。
本覚寺(ほんかくじ)
源頼朝が鎌倉幕府の裏鬼門の守護神として建立しました。
補陀洛寺(ふだらくじ)
源頼朝は、平家の総大将であった平宗盛が最後まで持っていた、
『平家の赤旗』を奉納しました。
勝長寿院跡(しょうちょうじゅいんあと)
元暦元年(1184年)に鎌倉幕府初代将軍の源頼朝は、
父である源義朝の菩提を弔う為の寺の建立場所を大御堂ヶ谷の地に定めました。
文治元年(1185年)に後白河法皇に依頼して、源義朝と腹心の鎌田政清の首を探し出し、
勝長寿院の南御堂の地に埋葬しました。
文治元年十月に堂舎が完成し、盛大に落慶供養が行われました。
佐助稲荷神社(さすけいなりじんじゃ)
伊豆に配流されていた源頼朝の夢に『かくれ里の稲荷』と名乗る稲荷神の老翁が現れ、
平家打倒の挙兵を促しました。建久年間(1190年~1199年)に畠山重忠に命じて、
『かくれ里の祠』を探し当て、稲荷神社を再建させたといわれています。
化粧坂と源氏山公園:神奈川県鎌倉市
源氏山公園では、昭和五十五年(1980年)に源頼朝の鎌倉入り八百年を記念して、
源頼朝像が建立されました。
神奈川県藤沢市
江島神社(えのしまじんじゃ)
源頼朝が文覚上人に命じて弁財天を勧請したことが始まりです。
神奈川県三浦市
海南神社(かいなんじんじゃ)
境内には源頼朝の御手植えの大銀杏があります。
神奈川県小田原市
佐奈田霊社(さなだれいしゃ)
源頼朝が平家打倒の兵を挙げた後、石橋山の戦いで破れ、逃れました。
石橋山の戦いでは、相模の名族である三浦党の岡崎義実(おかざきよしざね)や、
その子の佐奈田与一義忠も参陣しました。
佐奈田与一討死の地には与一塚が建てられ、与一を祭神とする佐奈田霊社が祀られました。
神奈川県足柄下郡真鶴町
源頼朝船出の浜
石橋山の戦いで破れた源頼朝ら一行七名が、箱根山中に逃れた後、従者とともに七名で、
真鶴から海路、安房国(千葉県)へ向かいました。
静岡県三島市
三嶋大社(みしまたいしゃ)
三嶋大社は源頼朝から篤く崇敬され、
治承四年(1180年)八月十七日の三嶋大社の大祭の夜、源氏再興の兵を挙げ、
山木判官兼隆を討ち取りました。
静岡県熱海市
伊豆山神社(いずさんじんじゃ)
源頼朝が源氏再興の祈願をし、平家を倒してからも、
文治四年(1188年)正月より、三嶋大社・箱根神社とともに三社詣を始め、
以後鎌倉幕府の恒例行事として百三十年余続けられました。
静岡県伊豆の国市
蛭ヶ島(ひるがしま)
父親である源義朝が平治の乱で敗れた為、永暦元年(1160年)に蛭ヶ島に配流されました。
十四歳の時でした。
香山寺(こうざんじ)
治承四年(1180年)八月に以仁王の令旨を受けた源頼朝は、
平氏で伊豆目代(代官)の山木兼隆の屋敷を襲いました。
守山八幡宮(もりやまはちまんぐう)
治承四年(1180年)八月十五日に守山八幡宮に平家追討を祈願し、
山木判官兼隆の屋敷を襲いました。
真珠院(しんじゅいん)
八重姫は幽閉先の館を抜け出し、源頼朝に会いに向かいましたが、
北条政子との結婚を知った八重姫は真珠ヶ淵に身を投げました。
里人は八重姫を満願寺に葬り、長く女人の守護神として信仰を集めました。
満願寺が明治初期に廃寺となり、八重姫供養塔は真珠院に移されました。
千葉県千葉市
千葉神社
平家打倒の挙兵をした源頼朝は、
武将の千葉常胤(ちばつねたね)の案内で参拝したといわれています。
千葉県安房郡鋸南町
源頼朝上陸地
源頼朝は箱根山中に逃れた後、真鶴から海路安房国(千葉県)へ向かいました。
頼朝一行が上陸した場所が、
現在の千葉県安房郡鋸南町(きょうなんちょう)といわれています。
埼玉県熊谷市
妻沼聖天山歓喜院(めぬましょうでんざんかんぎいん)
源頼朝が参拝したといわれています。
山梨県南都留郡忍野村
忍野八海浅間神社(おしのはっかいせんげんじんじゃ)
源頼朝が富士裾野の巻狩(まきがり)の際、社領を定めた神社です。
鎌倉幕府御家人の和田義盛、畠山重忠の寄進による神門が建立されました。
東京都文京区
牛天神北野神社(うしてんじんきたのじんじゃ)
東国藤原氏追討の際に立ち寄った源頼朝により創建されました。
東京都杉並区
井草八幡宮(いぐさはちまんぐう)
東国藤原氏追討の際に立ち寄った源頼朝御手植えの松があります。
東京都荒川区
石浜神社(いしはまじんじゃ)
源頼朝は、奥州征伐の勝利を祈願し、その後願いが叶うと、
社殿を寄進・造営しました。
東京都墨田区
牛嶋神社(うしじまじんじゃ)
治承四年(1180年)に源頼朝が下総国から武蔵国に渡る際、
豪雨による洪水の為、渡ることができませんでした。
そこで武将の千葉常胤が祈願し、無事に渡ることができました。
養和元年(1181年)に源頼朝は御礼に社殿を造営しました。
富山県中新川郡立山町
岩峅寺雄山神社(いわくらじおやまじんじゃ)
建久年間((1190年~1199年)に源頼朝により本殿が再建されました
石川県河北郡津幡町
俱利伽羅不動寺(くりからふどうじ)
俱利伽羅源平合戦により兵火にあいましたが、源頼朝により再建されました。
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清和源氏の嫡流である河内源氏の源義朝の三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国に独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)に相模川の橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳で亡くなりました。